その日は、夏。
まだ貴方が生きていた。






+++花火+++






「吾郎ちゃーん!!」
 先生の声だ。
 そのとき俺は夕食の準備をしていた。今日はシーザーサラダに冷たいパスタ。朝から蒸し暑くて堪らなかった。
「ただいまー。ねえねえ、見てよコレ。」
 玄関の扉を開けると、まるでそれを待っていた猫のように飛び込んでくる先生。その手には、何かの袋を持っていた。
「…何ですか?コレ。」
「何って…開けてみてよ。」
 俺はその場でそれを開けてみた。中から出てきたのは、赤や黄色や緑の原色の紙に包まれた花火だった。ツン、と鼻に衝く火薬の匂い。髪には亜麻色と白の猫の絵が描かれていた。
「どうしたんです?」
「吾郎ちゃんとやってみようと思ってさ。最近やった事ないでしょ?」
 最後にやったのはいつだろう。確か…まだ先生に出会うずっと前、かつての仲間達と騒ぎながら河川敷でやったあの時以来か。
「ええ。」
「だからさ、夕飯食べ終わってからやってみようよ。ね?」
「…そうですね。」
 たまには悪くない。俺は微笑んで頷いた。

 先生はいつもより早めに夕食を終えた。相当花火がやりたかったみたいだ。
 先生は大きな子供。俺よりも大きいのに子供みたいな言動をする。弁護士というだけあって策略高い所もあるし、大人の小癪さもある。しかし、その心はまだ純粋なままだと思う。それに、彼はもうすぐ…
「吾郎ちゃん、何やってるの?早くやろうよ。」
「え?…あ、はい。」
 俺は先生に手を引かれてテラスに出た。外は思ったよりも涼しかった。心地よい風が頬を撫でる。
「俺さ、これ好きだったんだよね。」
 そういって取り出したのは紙で銃を模した花火。先の筒に火薬が詰まっている。先生が持つと、ライダーの戦いをするゾルダが目に浮かぶようだ。先生はそれを満足げに持っている。
「先生、どうぞ。」
 俺は蝋燭に火を灯した。暖かい灯がゆらゆらと揺れる。
「よし、行くよ。」
 先生は筒の先を火に近づけた。ぽっと灯が灯った瞬間、筒から勢いよく火が飛び出した。
「うわっ、見てよ吾郎ちゃん、凄いキレイ。」
 暗闇の中で、蝋燭と花火と先生だけが浮かぶ。多色な炎はとても幻想的だ。その明かりが先生の頬―少しこけ始めたか―を照らし出す。
 炎は暫くしてその勢いを少しずつ無くしていき、やがて消えた。目の前に見えるのは蝋燭の光、暗闇に紛れた先生。
「あーあ、消えちゃった。」
 先生はとても残念そうに燃え尽きた花火を見つめる。それから、それを水の張ったバケツの中に押し入れた。ジュッ。
「俺ね、この音も好き。」
 先生はとても楽しそうだ。無邪気な笑顔を見せる。
「さあ、もっとやろうよ。吾郎ちゃんもやろう?」
「しかし…下が焦げても良いんですか?」
 俺は下の石畳を指差した。
「良いって。さあ、やろうよ。」
「はい。」
 俺も花火に手を伸ばした。持ち手が赤紫で、黄色と緑の花火。
 時間が止まった気がした。

「それ凄いキレイ。どの花火?」
「これです、先生。」
「ああ、この花火?」
「はい。」
「これって、筒の後ろから逆噴射するんでしょ?」
「普通に扱えば大丈夫です。」
「そうかなぁ…俺、これ苦手なんだよ。」
「やらないんですか?」
「うーん…よし、やってみる。」
ぽっ。
「うわー…やっぱりやって良かったかも。凄いキレイだよ。」
「そうですね。」
「あ、ほら。もっとやろうよ。」
「はい。あ、これどうです?」
 そういって俺が出したのは、線香花火。
「駄目だよ吾郎ちゃん。これはメインディッシュなんだから。」
「はい、分かりました。」
「これってさ、だんだん面倒臭くなってさ、何本も一気に点けたくなるよね。」
「あ、俺それやったことありますよ。」
「マジで?どうだった?」
「もう物凄い勢いで。確か一人火傷したんです。」
「うわー…本当に危ないんだね…俺も気を付けよう。」
「普通こんな事しませんよ。」
 二人で、顔を見合わせて笑う。
「そうだよねー。」
「あ、これそろそろ終わる……終わった。」
「まだ残りあるよ。ほら。」
「有難うございます。」
 本当に時間が止まってほしいと、願った。

「じゃあ次は……あ。」
「どうしました?」
「もうなくなっちゃったよ。」
 沢山あったはずの袋に、花火はもう一本も残っていなかった。残念そうに先生が俯く。
「じゃあ、締めはこれで。」
 先生が取り出したのは、さっきの線香花火。
「はい。」
「これは一気につけたら味気ないよね。大きな玉になるけどすぐに落ちちゃうし。」
「そうですね。少しずつやっていきましょう。」
 俺と先生は一本ずつ持ち、先端に火をつけた。ぱちぱちと小さな音が響く。
「あ、点いた。…吾郎ちゃんの方が大きいね。」
「そうですか?先生と変わらないと思いますが。」
「そうかなぁー?」
 先生がケラケラと笑う。
 先生の線香花火は暫く火花を上げていた。しかし、やがてその火花は小さくなっていった。
「あー…落ちちゃう…」
ぽとん。
 火の玉は呆気なく落ちてしまった。
「あーあ。」
 俺のはまだ落ちない。
「吾郎ちゃんの、強いね。」
「なかなか落ちないです。」
「まるで、俺みたいだよ、この花火。」
 先生の寂しそうな笑顔。俺は先生を見つめた。
「先生…」
「だってそうでしょ?呆気なく落ちてしまう。」
 先生は俺の方を見ずに、手の燃え尽きた線香花火を玩んだ。
「俺は、線香花火なんだ。」
「…ええ、そうでしょう。」
 突然の俺の言葉に、先生は眼を丸くした。俺は先生の目を見つめて、続ける。
「先生は、線香花火です。儚くて、綺麗で。」
 俺の線香花火が、燃え尽きた。
「でも、すぐに燃え尽きちゃうよ?」
「燃え尽きませんよ。」
 俺の目に、言葉に、力が入る。
「先生は、ずっと燃えているんです。」
「『俺の中で』とか言うんじゃないだろうね?吾郎ちゃん。」
 ニヤリと笑う。その顔にさっきの寂しさはない。
「いえ、俺はそんなに臭い台詞言えませんよ。」
「さっきのも随分臭いんじゃない?」
「そうですか?」
 また二人で笑う。
「じゃあさ。」
 今度は先生から切り出してきた。
「燃え尽きたら、どうするの?」
 身を乗り出してきた。
「次の花火に火を灯す?」
「多分。」
「やっぱりね。」
 苦笑い。
「でも、燃え尽きた花火はずっと放しませんよ。ずっと、この手の中に。」
 俺は、手を握り締めた。その手の中にはさっきの線香花火。
「有難う。」
 先生は目を離さずに、にっこりと微笑んだ。
「俺、ただ吾郎ちゃんに忘れられたくはなかったから。それだけで凄く嬉しい。」
「先生。」
「本当に、忘れないで。」
「…はい。」

 その後、俺達は残りの線香花火を楽しんだ。火の玉の取り合いや耐久戦、挙句の果てには誘惑に負けて、何本を寄り合わせて一気に火を点けたりした。
 最後の一本は先生が火を点けた。先生と俺はずっと玉を見つめた。それは今までのどの花火よりももった。それが燃え尽きて、俺らは暫くそのままで夕涼みをしつつ話し続けた。
 何を話したかは殆ど覚えていない。他愛のない会話だったのだろう。今はそれを忘れたのを悔やんでいる。覚えているのは石畳が焦げてしまった事、それに対して「大丈夫だよ」と笑う先生、その笑顔。先生の笑顔はとても印象に残っている。
 今、俺は一人でコンビニの花火売り場に来ている。そこには、あの時と同じキャラクターの花火がある。中身は少し変わってしまったようだ。俺はそれを持って、レジへと向かった。
 鼻に衝く火薬の匂い、音を上げて消える花火、焦げ跡のある石畳、先生の笑顔、先生との思い出。その全てがこの袋の中に入っているようだった。
 一人にはこの花火は多過ぎた。二人ならあっという間になくなってしまったのに。あの焦げ跡を避けて、俺は花火に火を点けた。先生が好きだと言っていた銃型の花火。凄く綺麗だった筒型の花火。先生と同じに見えた線香花火。
「先生…俺は、貴方を忘れてはいません。」
 線香花火に火を点けた。ちりちりと燃える火の玉。
「貴方を、忘れる事はこれからもありません。」
 小さな火の玉は、やがて大きくなって火花を散らし始めた。
「貴方を、忘れません。」
 やがてその玉は小さくなって、火花は出なくなっていった。
「だから…」
ぽとっ。
 火の玉が落ちた。
「先生…」
ぽたっ。
 涙も、落ちた。
「先生…」

俺を、忘れないで下さい。

ずっと。


 貴方の席には、一輪の薔薇。弁護士バッチ。燃え尽きた線香花火。




†―――――――――――――――――――――――――――†
うわーありきたりネタだよ自分(死)
学校で半分寝ながら考えたものです。
「よし!季節外れネタ書いてやろう!!」と思った結果がコレです。
…最近北岡家ネタしか書いていません(p_q)
 
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