どろどろと。 堕ちていく感覚。 体の先端からどろどろと腐り落ちていく。 気付いたら俺は、黒い霧の中にいた。 +++黒霧+++ 「ああ、来たのですか。」 声がした方を向くと、茶の髪を分けたスーツ姿の男がいた。黒い濃霧が満ちているこの空間では、いかにも不釣合いな格好だ。 「これで三人目ですね。二人立て続けですよ。」 「アンタは…」 俺の問いに、男は怪訝そうな顔をした。 「そちらが先に名乗るのが礼儀でしょう。」 「ああ…悪い。」 咄嗟に名前を口に出そうとするのだが、一瞬躊躇ってしまった。自分の名前がすぐに思い出せなかったのだ。 「……手塚。手塚、海之だ。」 「手塚…ね。ライアでしたっけ。」 ライア。 やっと俺は、自分の置かれた状況に気付いた。最後の記憶は、薄れゆく光。 「俺は…死んだのか。」 「ええ、そうでしょうね。」 男はまるで興味がなさそうに答える。 「ああ、私は須藤雅史と言います。よろしくお願いします。」 「ああ。」 俺は何処か上の空で答えた。何か確かめなくてはならない事があったんだ。生きているときに、片時も忘れなかった存在… 「……雄一。」 それは思いがけずに口から零れた。 「アンタ…いや、須藤さん。」 「須藤で良いです。」 「須藤、斉藤雄一と言う男を知らないか?」 「亡くなった友人などですか?…諦めて下さい、ライダー以外の人には会えませんよ。」 「何?」 「見て下さい。」 須藤が向こうへと手を遣る。見ると、果てしなく黒い霧が広がっていた。 「どうやら此処は、死んだライダーのみが来る世界のようです。私も興味本位で人を探してみたんですけどね。今他のもう一人が面白半分でこの辺りを回っていますが、私達の他には誰もいませんよ。」 「そうか…」 死んだらまた雄一に会えると思ったのに。 「じゃあ…あんたもライダーだったのか?」 「ええ。シザースという名前で。まあ、あなたと出会う前に死にましたが。」 須藤ははは、と笑ってみせるが何処か違和感を覚える。 「どうして…」 「死んだ理由ですか?秋山にデッキを破壊されて、契約モンスターに喰われたんですよ。まさに飼い犬に咬まれたようなものです。」 秋山が?…いや、そんな事よりも俺はただ呆然としていた。人間はかくも呆気ない死を遂げ、挙句の果てにはこんな世界に堕ちるなんて! 「嫌なものですよね。」 俺の横で須藤は溜息をついた。 「殺し合った酬いですかね。ライダーは死ぬと意識もそのままに天国でも地獄でもない場所へと堕とされる。そこはまさに無。だったらあのまま一生意識が戻らなければどんなに楽だったでしょう。」 須藤は俺を見た。 「私の目を見て下さい。」 おずおずとその目を覗くと、そこにあるはずの光はなく、瞳が此処の黒霧のように濁っていた。 「…見えないのか?」 「いえ、見えますよ。ただ目から感情がなくなっただけです。」 「感情が?」 無言で頷き、須藤は歩き出した。俺もその後を追う。 「どんなに苦しくても、つらくても、悲しくても、寂しくても、嬉しくても、この目に涙はもう浮かばないのですよ。涙だけじゃない。今此処で笑ってみせてもそれは口の端を上げるだけの動作であり、消して目に表情は表れないのです。」 須藤は振り返って笑った。しかしその目はぼんやりとしていて、ただのガラス玉のようであった。先程の違和感はこれが理由か。 「更に」 そのまましゃがむと足元を手で探る。俺もしゃがんでその手元を見守る。ぐるぐると霧が渦を巻き、須藤が次に手を出した時には、その手にはアンティーク調の手鏡が握られていた。 「…ほら。」 須藤が差し出すのでそれを覗くと、鏡の向こうには城戸と秋山が見えた。まさしく、向こうの世界。 「城戸、秋山…」 「私達はいつでも好きなときに、向こうの様子が見えるのですよ。…これもまた酷だ。」 もっと見やすいようにと、須藤は更に俺に鏡を寄せる。 「もうつらい思いはしたくないから見たくないと思っても、鏡が誘うのです。鏡が光り鏡面越しに向こうの物音が聞こえると、私達はパブロフの犬のように飛び付かなければ気が済まない。そして向こうの世界を夢見て、悶え苦しむのです。その何と酷な事か!」 須藤の声に段々と感情が篭る。しかし俺の耳にはその声は届かない。俺はただ一心に鏡を見つめていた。 ふと何かに気付いたように、須藤が俺の方を叩く。 「…ほら、あなたの目も。」 視界の端で、須藤の口元が一瞬歪んだように見えた。鏡を覗くと、反射して見える俺の目に、光はなかった。 「…あ、………あ」 声にならない叫びが、喉を彷徨う。 「あ、アンタも来てたんだ。」 ふと声がした方を見ると、そこには芝浦がいた。無邪気だったはずの瞳に霧が渦巻く。俺は思わず頭を抱え込んだ。鏡が吸い込まれるように霧の中に埋まる。音はしない。 「須藤サン、来てくれたんだね、また。」 「ええ。仲間ができましたよ。」 二人は顔を合わせて微笑む。しかしその目は固まり笑わない。俺の脳裏に一瞬、神崎の顔が浮かんだ。奴の目も霧で濁っていた。……神崎もこの世界にいたのだろうか…? 「手塚さん、末永くよろしくお願いしますね。」 須藤がにっこりと笑う。思わず俺は、その場に座り込んでしまった。 ―――――――――――――――――――――――― 須藤さん怖くてゴメンなさい。 授業中に書いててゴメンなさい。 私の中では浅倉さんより須藤さんの方が恐怖かも。 戻る。 |
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