月明かりが目に沁みる。 俺は銀の更に乗った何かを皿ごと高々と持ち上げた。 「さあ、お前の口に口付けさせておくれ…」 口に鉄錆の味が広がる。 「…お前の唇は苦い味がする。血の味なのか?…いいえ、そうではない。これは恋の味なのか……?」 銀の皿に月明かりが反射して、逆光だった皿上のものが見えた。 それは、生首だった。 +++Salome+++ 体中を嫌な汗が流れ、気持ちが悪い。 口の中にまだ鉄錆の味が残っているように思え、胃のむかつきが更に増した。このまま起き上がってうがいがしたい。しかしそれを、嫌な汗と嘔吐感が拒む。 先程の夢は、妙にリアルだった。 覚えず、俺は横に目をやる。そこにはいつもの光景。 「…雅史。」 ソファーの上ですやすやと寝息を立てるのを、目を細めて見る。寝心地が悪いのか、寝返りを打つ。まるで猫みたいだ。 少し胃のむかつきが治まったのを見計らって、キッチンへ向かう。コップを出しそれに水を流し込みながら、段々と夢と繋がる記憶を思い出した。 「…何だ?その本。」 外から帰ってくると、須藤は分厚い洋書を読んでいた。 「『サロメ』ですよ。」 「サロメ?」 俺が怪訝そうな顔をすると、須藤は「まさか貴方が本に興味を持つなんて」とくすくす可笑しそうに笑いながら、あらすじを説明した。 サロメはガリラヤの太守ヘロデ・アンティパスの後妻ヘロデヤの娘。全てはサロメが預言者ヨカナーンに恋をしたのが始まり。しかしヨカナーンはサロメを罵倒し、蔑み、決して受け入れようとしない。やがて愛に狂ったサロメは、踊ったら何でも欲しいものをあげようと言ったヘロデに対し、銀の皿に載せたヨカナーンの首を求める。やがて運び込まれたヨカナーンの首に、サロメは口付けをする、と―――― 「如何です?」 「さあな。」 そう答えると、須藤はしおりを正して本を閉じた。 「…貴方は、どちらです?」 「ん…」 「貴方はサロメ……それともヨカナーン?」 「…知るか。」 「私は」 そのまま須藤は立ち上がって俺に向かい、目を見据えて言った。 「私は、ヨカナーンがいい。」 「…なあ。」 「何です…」 「どうして、さっき『ヨカナーンがいい』と言ったんだ?」 「ああ、あれですか…」 須藤はだるそうに寝返りを打つ。ソファーが軋む音が暗闇に響いた。 「…だって、サロメはヨカナーンを自分のものにする為に殺したのでしょう?」 「ああ。」 「でも何も残らない。」 「…」 「私はこの職業柄、今まで同じ理由の殺人を何度も見ました。犯人は男にしろ女にしろ、皆呆然として、自分のやった事を悔やむのです。その瞬間は確かに自分の心の隙間を埋めたのかもしれない。しかしそれが愛に狂った結果だとしても、彼らは己の愛した人が戻ってこない事に気付いて、己自身の愚かさを呪う。愛する人を殺すのが最上の愛だとは思っていませんから。」 サロメの場合はそれに気付く前に殺されたのですがね、と後から付け足す。 「…全てそうなのか?」 思ったよりも声が闇に響く。須藤は驚いたかのように肩を震わせた。 「人間いつだって、相手の心が変わるのを恐れているだろう。また、相手が自分の心に気付いていてもいなくても、自分は相手がいつ他の誰かを愛するのかを恐れる。だったらいっそ…」 「浅倉らしい答えですね。」 再び寝返りを打った須藤と顔が合う。そこには物悲しげな笑みが浮かんでいた。 「でも私は、もうこれ以上独りの悲しみを味わいたくない。だったら自分の意志を貫き通したまま消えてしまいたい。もう揺らぐ事なく。…今のままで。それに今は、…あまり寂しいとは思わなくなった。」 じゃあ俺が殺してやろうかと問うと、話は別です、まだ死にたくないですよと須藤が笑う。いつもの笑顔に、安心した。 そして、あの夢を見た。 あの気味悪い夢を見た朝、俺達は何事もないように普通に朝食を摂った。俺の顔が少し青白いのをボルが目敏く見つけ、(流石に夢の中であってしても、知らない人間…しかも晒し首にキスをしたのだ。具合悪くなるのもおかしくはない。)ボル、ベノ、そして須藤に板挟みに何度も咎められたが、全て流した。 その後須藤はいつものように勤めに出かけ、俺はというといつものように部屋でぼうっとしたりふらふらと外を出歩いたりしていた。 昼飯…といっても遅すぎる時間にコンビニで調達した弁当をかき込んでいると、ふと須藤の机に置かれた本に気付いた。手にとって開くと、そこには「サロメ」と書かれてある。 ソファーに凭れてページを捲る。 「俺なら…」 思わず口から零れた。 「俺なら、雅史を…」 何を馬鹿な事を、と頭を振った。 突然頭の中に、金属音が鳴り響いた。鏡を見ると其処に映ったのは、ある筈のない異形の者。俺はすぐに姿見に走り寄った。 「威!」 鏡の向こう側で、ベノが構える。 「ああ…………―――変身!!!!!」 体中を金属が包み込む。いつだってこの瞬間が気持ち良い。俺はそのまま鏡に吸い込まれていった。 鏡の向こうに須藤はいた。既に甲冑に身を包み、ボルと共に先程の異形と戦っている。 「雅史!」 「浅倉…気付いていたのですか……」 此方は多数。向こうは一匹。俺達はカードを装填して突っ込んでいった。 「助かりました。」 背後で死骸が炎を上げている。須藤は俺を見てこう言った。表情は仮面の下に隠れて見えない。 「……浅倉?」 俺の手はがくがくと震えていた。体中に有り余る力が出口を求めて彷徨う。 「オレナラ、オマエヲ…」 「浅倉?」 「銀ノ大皿ニ載セタ、ヨカナーンノ首ヲ!!」 無意識のうちに俺は須藤に刃を向けていた。すぐに須藤もそれに応じる。 「ちょ……何やっている威!!!」 「オ前コソ何ヲヤッテイル……!」 戸惑うベノに、声を張り上げる。 「ボル、須藤……許してくれ。」 「ベノ……っ!」 ベノは一気にボルへ襲い掛かる。モンスターはマスターに従う他に道はない。 一対一。お互い間に入る者がない戦い。 「俺ハオ前ヲ!!!」 口から知らずに物を語る。 「本気ですかっ、浅倉っッ!!!」 『私は、ヨカナーンがいい。』 「痛ッ……!」 『でも私は、もうこれ以上独りの悲しみを味わいたくない。』 「浅倉…ッ!!!」 『だったら自分の意志を貫き通したまま消えてしまいたい。もう揺らぐ事なく。…今のままで。』 現実の須藤の声と、頭の中に流れる須藤の声がシンクロする。 刃から放たれた一発が須藤の身体に直撃し、そのまま呻き声を上げながら崩れこむ。すかさず俺はその華奢な体に馬乗りになった。 「死ンデクレ……!」 その喉元に刃を突き立てる。しかし、それを真っ直ぐに突き落とす事はできなかった。手に力が入らず、やがてそのまま剣を落としてしまった。するとそれを待っていたかのように、体が粒子化を始める。俺は我にかえった。 「……ッ!ベノ!!」 「威…」 安堵の表情を浮かべるベノとボル。しかしすぐに、ボルは倒れこんだ須藤を見て顔を青くさせた。 「すまない……とにかく、手伝ってくれ!!」 俺はそのまま須藤を抱き上げると、出口へと走っていった。 鏡から吐き出され、したたかに身体を打った。思わず呻き声が上がる。 「……ッあ………っ」 痛みが少し楽になると、すぐに俺の目線は須藤を探し出した。段々と此処が須藤の部屋である事が理解される。やがで視界の端に、ベノとボルによって須藤がベッドへと寝かされるのを捕らえた。 「やりすぎだ、威。もう少し時間があったら、取り返しがつかなかったかもな。」 「…ああ。」 俺は今いる世界を傍観しているような気分になった。全身に打ち身や傷を残した須藤の体が痛々しい。その胸が微かに上下しているのを見て、彼が生きているのが分かった。 「………嗚呼。」 俺は座り込んで動かない。ベノがぽんと頭を小突く。 「とりあえず、お前が看病しろ。それがせめてもの報いだ。…何があったかは知らないけどな、我を失うなって。お前は此処にいるんだ。独りじゃないんだろ?……これ以上失ってどうする。」 『でも何も残らない。』 須藤の言葉が耳に響く。 「……すまない。」 その言葉に、ベノとボルは驚いた表情を見せる。やがて二人は、鏡へと帰っていった。 広い部屋に呆然と座り込む。 『でも何も残らない。』 「そうだ、何も残らないんだ。」 相変わらず耳に残る声を打ち消すように、口にする。 そのまま立ち上がり、ベッドへと向かった。 「『さあ、お前の口に口付けさせておくれ。』」 俺は体を屈めると、少し開いた須藤の唇に口付けをした。口の中を夢と同じ、いや、それ以上に生々しい鉄錆の味が広がる。 …これが、狂った愛の味? しかし、それは嫌なものではなかった。 ―――――――――――――――――――― 桜花初挑戦へびかに。 …ごめんなさい;; 浅倉さんトリップしちゃいました;; ベノが珍しく真面目です。 「サロメ」好きです。話が。 戻る。 |